対峙するとは
にらみ合い
対立すること。
つまり
競うように
向かい合うこと。
コロナと
対峙する、今。
ニンゲンは
学ぶことで
生き延びていく。
人類と
未知のウィルス。
やっつける
という方法ではなく
距離を置く
というところで
対峙という言葉が合う。
対峙した
その先には
新しい景色がある。
人類は
今、学びの最中だ。
どこか
対岸の火事だった
年明けの頃から、
どうやら
一筋縄では
収まらないらしいと
事態を深刻に捉え始め、
花見に始まり
卒業や入学、就業、
新年度への動きを
ストップする決断が
下されてから、
その期限を迎えた。
そして
ある程度の見解を得て
努力目標として
新たに緊急事態宣言が
延長されるに至った。
日常生活を
守る立場の職種として
日々の仕事を
通常営業として続けてきた。
私が思うに
変わったのは
店や組織のスタンスであって
人の方ではない。
暇ができたと
つるんで出かける人や
小規模ながら
集まる人は多い。
なぜひとりで
行動できないのか。
制限が課された中で
自制できるかどうかを
今、試されているのに。
人類は
コロナになるしかない
運命なのか。
スーパーやコンビニには
入場制限や
飛沫防止のシートが出来た。
ヒト自体は
マスクを手作りし
石鹸や洗剤で不活性化する
という対処法を習得した。
職場は
在宅を推進し
密を避けることで
感染拡大の確率を
極力減らしてきた。
我慢のGWは
東京都の1日の感染者を
2桁に留めた状態で
過ぎようとしている。
そして
明日からまた
経済は少しずつ
動き始める。
経済は
ヒトの動きが
かなりの割合を占めていた。
人が集まることで
お金が集まった。
緊急事態宣言が解除されても
人はまた元のように
動き始めるだろう。
この時期に学んだ事を
それぞれが糧にしながら
自助に励むことになるだろう。
特効薬は
試行錯誤を繰り返すだろう。
一度感染者が沈静化しても
また、感染者は出る。
大切なのは
感染したかも!
感染しました!
が
素直に言える事だ。
そしてそれに対して
即座に対処できることだ。
それが出来て初めて
コロナ後
って言えるのだと思う。
だからそれまでは
自分の健康や
生活様式と
しっかり向き合ってほしい。
自分で自分を
ちゃんと守ってほしい。
命がある
という
奇跡に感謝しながら。
今も命の危険と
対峙している人達に
心からのエールを
贈りながら。
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