2024.01.30 04:31グラタンとリハビリ2024年の大きなうねりの中で穏やかな日々のありがたさを噛みしめる。日曜の夜。夫がグラタンを作ってくれた。(日曜は私が仕事なので夫が在宅のときは作ってくれている)なんと我が家でグラタンを作ったのは今夜が初めてだった。天袋のような台所の棚に確かあったはず、と、ガラス製のグラタン皿を出してくれた。「ウインナー、食べた?」午後の仕事前に下ごしらえしておいた野菜たちも、美味しくグリルされていたが夫が加えたウインナーは会心の焼き上がりだったようだ。 「まだ、あと二回は作れそうだよ」夫の得意料理、確定らしい。 なぜだろう。グラタンを作りたいとも食べたいともおもわなかったのは。出来ることは、自分でやるという、自立した夫。 トラブルからのリカバリも普段なら一人で乗り切...
2024.01.26 12:14節目から節目へ2024年。4月になれば、私は51歳。夫は52歳。人生100年時代の節目を過ぎた。戦争のない時代に生まれ、今のところ戦争をしない国にいる。そして今のところ不自由なく幸せに暮らしている。と、思っていたけれど。夫にとって去年は 人生最悪だったらしい。その結果転職先が決まったことは未来への希望となったけれど、次の節目にむけ試練が続いている。次の節目に向かうにはどうやらもっと軽くなる必要があるようだ。手放して浄化するそんな時期。長年好きだったフラ大好きだった保護猫それらとお別れをした。(猫は旅立ったのだが)愛って心を惜しみなく向けていくことだ。だからお別れした時、体の一部が無くなったみたいにつらい気持ちになった。でも生きていく限りまた新たな方向へと心を向けてい...
2024.01.03 04:57共に、未来へ。2023年を、忘れない。馴染みの外猫との別れ。2月にシマグレ12月にグレハチどちらもお別れが出来たことを忘れない。夫の苦難と挑戦。7月から始めた転職活動、51歳の挑戦は衛生管理の資格と大手総務のキャリアが小規模エージェントの目に止まりエンゲージメントに至った。このままで終わりたくない今を生きる私達は少なからずどこかでそう思って潜在意識に導かれて未来を向く。夫の思いが報われたことを忘れない。コロナ禍からインフル禍へ。マスクは職場の必須アイテム。極力ワクチンは打たない。健康は自己免疫で守ることを忘れない。そして2024年。元旦の朝日を地域猫キジマルコと迎えた。寝床を追われて人目につく側溝で何かを訴えるように暮らしている。共に、生きていこう。そう言ってる気が...
2023.08.26 07:49受難から未来へ 酷暑が立秋を超え、処暑を過ぎても日本列島に留まっている。台風の進路が北にずれて熱波が日本海側からも吹き寄せ、連日熱中症アラートが発信されている。 8月8日。マウイ島のラハイナが焼土と化した。歌に出てくるその街は、自然が豊かで人々が大らかに日常を楽しむ様子が微笑ましいのだが、防災への配慮が問題視される報道もあり、そこに連日の乾燥と、ハリケーンの暴風が重なり、大火災となったようだ。 地球温暖化から、地球沸騰へ。それを私達は否応なく体感させられている。マウイ島に限らず、山火事はあちこちで発生しているが、今回は急激な乾燥という「フラッシュ干ばつ」が発生したこと、乾燥に強く燃えやすい外来種の草が繁殖したことが、大火災の原因となったようだが、線状降水帯に悩まされ...
2023.04.20 04:34特別な日々4月19日。なんの日だっけ?SNSが、リマインド。舞浜で、挙式と結婚披露宴。あれからもう、15年。夫婦揃って日常に追われる日々の中でその「特別」を忘れてた。 風が強くて少し雨が混じったおかげでライトアップされたラウンジで階段に並んで集合写真を撮ったっけ。ハプニングのほうが色濃く思い出せる。 15年目の「特別」は穏やかな夏日。季節の花々が例年より早く満開となり、ツバメも飛び始めた。毎日はそんな異例な「特別」に溢れている。それをコロナ禍でしみじみと日々、実感している。訪問先への道すがら、沢山の花と遭遇する。名前を調べて挨拶をした。「この時期は自転車で移動するのが楽しくていいですね」と、ご主人を緩和ケアされている奥様がにこやかに話しかけてくれた。季節の花や...
2023.03.15 07:12変化の兆し待ち焦がれた、春。3/13にマスクの扱いが変わり、地元の枝垂れ桜が満開になった。3/14には地元で卒業式があり、ソメイヨシノの標本木から開花宣言となった。弥生の空は見渡す限り霞か雲かの、桜が咲き始める。日々に追われる中で楽しみを見失わないよう必死に態勢を整えている。目まぐるしく季節は変わる。時はともに寄り添って悲しんではくれない。コロナ禍で多くの人の心を支えたアニメキャラの言葉の如くあれからもう、3年。そのアニメも、新たな展開を見せてくれている。100年もの間変わることのなかった状況が今、変わったこれは、兆しだ。同じアニメに登場する組織の長に当たる人の言葉。この作品自体が 周囲を巻き込み大きなうねりとなっている。そんな作品にちなんだオーケストラコンサー...
2022.12.01 06:05街の景色計らずも今年は2度もGoogleのストリートビューに映り込んでしまった。1度目に映り込んだときは真夏。炎天下の仕事中だった。2度目は最近。10月の通勤途中だった。地図の更新頻度はどれくらいだろうか。履歴を見る限り、年に1度のペースで更新がされているようなので、気になるエリアを見直してみると、馴染みの地域猫が映り込んでいたりする。通勤エリアでも、八百屋のご主人が映り込んでいたことがあった。今年の1月に閉店されたので今では懐かしい思い出の記録となったが、街の景色になって働く姿が残ることを素敵だなぁと思っていた。それがまさか、自分もそうなるとは。実は私は自宅のベランダにも映り込んでおり、今は更新されてしまったと思うがベランダで植物を愛でている様子が街の景色の...
2022.11.23 14:13鎮魂の日々 コロナ禍に終わりはない。見切りをつけたかのように、世の中に賑わいが戻ってきた。 令和4年10月。3年ぶりに地元で開催される花火大会の抽選席が当たった。来場規制と感染対策のゾーン分けがされた土手に座り、ゆったりと夜空に咲く大輪の花を眺めた。 花火には、鎮魂の意味がある。使い方を誤れば凶器となる爆薬を、空に放って鑑賞するのが花火で、日本では徳川吉宗の時代、川開きの際に慰霊や悪疫退散を願うものとして本格的に打ち上げられたという。今年は秋の開催となったが、コロナ禍で急変して亡くなった多くの方や、9月に川の上流で失踪した幼い子供の魂を思い、鎮魂の思いで夜空を見上げた。 8月の盆休みに、双葉町の伝承館を経由して、陸前高田の一本松へドライブで向かった。 災害の記憶...
2022.08.01 21:56心に静寂を日の入りが少し早まったせいか気づくと月が登っている。酷暑が続く日々。ベランダに差し込む朝陽は顔をしかめたくなるほど熱い。移動だけでジリジリと体が焼かれるように熱くなる。出かけるのを躊躇いながら気合を入れて暑さに挑む。連日の暑さの疲れからか、夜から朝にかけて鉛のように体が重くなる。どうにか体を動かそうとストレッチや体操で血流と心拍数を上げる。テレビを消して静寂の中にいる。正確には生活音の中にいる。クーラーや扇風機から空気の動く音がする。窓の外から小さく聞こえるのは蝉の声。路面を走るタイヤの音。外に出れば車の音に紛れサイレンも時折聞こえる。並木道では風に揺れる木の葉の音。今朝は酷暑でマイカーを使って動いた。カーラジオからフニクリ・フニクラが聞こえてきた。言...
2022.07.21 15:02選んで前へ湿気を帯びた熱波に気力を持っていかれそう。元気でいることが本当に難しく感じてる。そんな中、若い世代の挑戦には清涼感を感じる。疑うことなく決断し、前へ進んで行く姿に歳を重ねるに連れて励まされていく。親から見たら私もそんな存在になっているのだろうか。遥か先ではなくその時その時の今を選ぶ決断なら若い世代に負けていない。きっと。不安は判断を狂わせる。健康だったり経済的な環境だったり。未曾有のことだったり。だけど私達は選ばねばならない。自分を生きるために。今、何かを選べるという自分はその場に自分しかいない。私の明日は起きるを選ぶ。朝ごはんはオートミール粥を選ぶ。持ち物を選ぶ。決まった予定を選ぶ。そして夕方は大好きな場所に立ち寄ることを選ぶ。ある選択肢が来て、やる...
2022.07.12 14:37社会の風訪問先で、見るともなしに報道に触れたあの日。速報のテキストでは感じることのない音や映像が、あまりにも衝撃的だった。7月8日、金曜日の昼間。多くの人の目に、心に、残像が焼き付いた。あまりにも突然で、衝撃的過ぎて、まだ、その事実が現実に思えない。今日。荼毘に付しましたね。。訳のわからない世の中になったな。。残された奥さん、気の毒だな。。憤りのコトバはなく、ただただ力なく悲しむ声、声、声。コロナ禍でテレビをあまり見なくなった。少し落ち着いてきたと思いきや、高齢者には社会の窓のようなテレビから戦争の惨禍が報じられ、テレビを見ない人も増えていたが、またもやショッキングな悲報がテレビや新聞から目に届いた。世間話が会話からきえていく。時代劇や洋画のチャンネルは、現実...
2022.07.07 05:45見届けるということ最近観た映画。トップガンマーヴェリックと犬王。どちらも見る前はそんなに期待していなかった。前者はコロナ禍で公開が延び延びになっていたので、ようやく観られるという安堵感が先に立って旧作の勢い再びのノスタルジックな作品では?と思っていた。後者に対しても、平家物語から何やら得体のしれない話が現れた?と興味の対象から外れていた。公開後のレビューを目にするようになり、何だか面白そうだと思い直して2作とも出足遅れ気味で映画館へ足を運んで鑑賞したが、己の先入観を恥じるほどに感動することができた。それとともに、先入観に凝り固まってあわや見届けずに過ぎてしまわなかった今をありがたく思った。コロナ禍を乗り越えて我々の目の前に作品として現れることは、なんて尊いことなんだろう...