2月は如月。
衣(着るもの)を更に着る、
という意味もあるらしい。
まだまだ、春を見つけても
手放しに喜べないところが
現代でも頷ける。
1月の睦月は
仲睦まじく集まる月だった。
とはいっても
歳とともに家というものは
それぞれに散っていってしまうのが
定めのようにも思ってしまう。
毎年2月は
夫の両親の誕生月でもあって
バレンタインデー間近の週末に
食事したりお家に泊まったりが
恒例行事となっている。
チョコも甘すぎるから
ゼリーのお菓子(彩果の宝石)。
そして義母をイメージした
花束を夫が用意した。
79歳になる義父と
74歳になる義母。
夫のお家では
ケーキを食べる習慣がなく
お祝いもなかったらしい。
実家では
父が乳製品の配送していたせいか
ケーキで祝うのが習慣だった。
誕生日を祝うというだけでも
家々で違うのだと
結婚してから知って驚いた。
お祝いのときに
一番嬉しそうなのは
家の主ではなかろうかと思う。
実家の両親とも
互いの誕生日が近づくと
予定を確認して
毎年同じホテルのビュッフェに行く。
そして最近は
「食べたいものを
医者の制限なく食べられるのは
シアワセだね〜」
と、健康を噛み締めている。
夫の実家でも
その祝いの場に
保護猫まめにゃんが増えてから
外食せずに団欒することが
シアワセな時間となった。
義父母の健康を
会話から確認し、
不安なことも話し合う。
心身の健康チェックだ。
あまりにも
当たり前になりすぎたのか、
昨年から今年にかけては
その団欒の重要性を
再認識させられた。
もう二度と
団欒に加わらない家族も
現れてしまった。
生きていても
会いたくても
会えなかったり
会おうと思えなくなったり。。
それがもしかしたら
常なのかもしれない中で、
こんなふうに毎年、
団欒の時間を持てることが
私は何より嬉しい。
欲しいものは
と聞かれたら、
私はこう答える。
家族の時間。
家族で一緒に
何かに取り組める時間。
子供がいないのは
見たくても見られない
視野があるようなものだ。
だけど義父母は
私を嫁ではなく
娘だと言ってくれた。
お家に行くたびに
「おかえり」
って言ってくれた。
夫と暮らし始めた時も
「ただいま」と
「おかえり」を
言い合えることが
新鮮でシアワセだった。
二人の団欒も
時を経て変わって行く。
今年は改めて
団欒にも礼儀があることを
再確認した。
食事に礼儀があるように。
「先に寝るね」
「また明日ね」
そんな言葉を忘れずに。
外で会うときなら
シメの挨拶を忘れずに。
来年も
元気で団欒の月を
迎えられますように。
Mahalo,nui!!
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