傷痕に、愛を!(1)

気仙沼、
浪江から富岡へと
観光ツアーに出掛けて
帰宅したその翌日。

猛烈な台風15号が
関東を直撃した。
利用者さんの家で
テレビから風速60メートルと聴こえて
まさか!?と思ったけれど。。。

明け方の嵐は
想像以上のものだった。

幸いにして私は
月曜の通勤の足に問題もなく、
台風一過の猛暑に
被災地の報道に触れるたび
ライフラインの乏しい中で
この暑さはどうしたものかと
気が気でなかった。
それでも仕事をしてるうちは
できることをしよう!と
没頭することが最善と思えたけれど、

全面復旧までに
まだまだ時間がかかると
報道で発表されるたび、
ますます気が気でなくなった。

東日本大震災のときは
都内のオフィスビルで一夜を明かし、
離れた被災地に
何かできることはないかと
情報を探して発信することに
躍起になっていた。

現地へ足をのばせたのは
2ヶ月経ってからだった。

災害の傷痕を
悲しい記憶にしたくない。
住まう土地は
いつだって愛おしいから。

出来ることをする。
それは
愛を注ぐこと。


千葉県に住む私は
東日本大震災で知り合った人から
「大丈夫ですか?」
「必要なものはないですか?」
と連絡を受けた。


同じ千葉県だけど、
東京や埼玉に近く、
ライフラインも何ら問題ない。
気にして貰ったことが
私の背中を押した。


東日本大震災以降、
SNSの有り難みを日々感じている。
フォローすることで
思いがけない情報を得ることもあった。
今。
頼りになるのはやはりtwitterだった。


現地入りしてる女性の政治家さんの
情報をもとに、
コメントを辿ったりして 
必要なもの
行けるとこはどこか
などを検索。

そう。
現地は検索もできない。
電気がない。
アンテナも繋がらない。
水を汲み上げるポンプのあるところは
電気がなければ水もない。


災害用の報道局があれば!!
ラジオで聴けるのに。。。


午前中は
膝に注射を打った。
「まだ若いんだから、今は絶対に
膝に負担かけちゃだめだよ!」
そんな風に念を押されたけれど。。


膝を負傷しても
頑張ってるアスリートはたくさんいる。


被災地だったところに
私ができるのは
足を運ぶこと。
被災した傷痕に、
自分なりに意識を向けることが
愛を注ぐことになる。


あの日から
今に繋がってる。


行けるとこまで 
電車で行ってから
レンタカーを借りるか??
いや。。
バスはどうだろう??
バスが走っていれば行ける。


浪江から富岡への
鉄道代替バスが
いいヒントになった。


使える手段は
使おう。


チケットが往復でとれるなら!
観光客で賑わう東京八重洲口の
バスターミナルへ向かった。


(つづく)



SLOW DOWN LIFE

あらゆるものが加速する中で 敢えて減速して生きていく。 マイペースに。丁寧に。 不定期に綴る、 減速生活のススメ。

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