2022.11.23 14:13鎮魂の日々 コロナ禍に終わりはない。見切りをつけたかのように、世の中に賑わいが戻ってきた。 令和4年10月。3年ぶりに地元で開催される花火大会の抽選席が当たった。来場規制と感染対策のゾーン分けがされた土手に座り、ゆったりと夜空に咲く大輪の花を眺めた。 花火には、鎮魂の意味がある。使い方を誤れば凶器となる爆薬を、空に放って鑑賞するのが花火で、日本では徳川吉宗の時代、川開きの際に慰霊や悪疫退散を願うものとして本格的に打ち上げられたという。今年は秋の開催となったが、コロナ禍で急変して亡くなった多くの方や、9月に川の上流で失踪した幼い子供の魂を思い、鎮魂の思いで夜空を見上げた。 8月の盆休みに、双葉町の伝承館を経由して、陸前高田の一本松へドライブで向かった。 災害の記憶...
2022.11.06 23:02生きていてよかった 少し早めの紅葉を眺めに、文化の日の祝日、両親を連れて筑波山へドライブに行った。 帰り道、地元のレストランで夕飯を食べて満腹になった父がふと、「生きていてよかった」と呟いた。 奇遇にも同じ言葉をつい最近、仕事の訪問先でも聞いていた。90代の男性が、若い頃子供を連れて旅行した東北地方へ、先日4泊5日のドライブツアーとして子供達に連れて行って貰ったという話を聞いた時、旅の感想を訪ねた返答と、同じ言葉だった。 生きていて、よかった。その言葉の重みを改めて痛感する。歳を重ね、自身では出来ないことが増えていく中で、思いもよらず夢が叶ったような出来事に遭遇したとき、思わず口からでる言葉なのだと思う。そしてコロナ禍を生き抜いている今、誰しもが発しうる言葉だ。 コロナ...